東海支社

五十嵐二伯(いがらしにはく)

機械製造会社勤務(設計担当)を経て、1971〜2000年ヤマハ発動機(株)及びその関連会社に勤務。主に新商品調査及び先行開発、ATV開発設計、モーターサイクル(M/C)要素設計などを担当。その後M/Cの新商品プロジェクトの開発、生産準備を通しスムーズな立ち上がりのための生産移行技術の開発、応用を実践。この経験を生かし、CCS本部品質管理室課長として全事業部を対象とした品質技術の事例研究、普及、QC教育を推進した。退職後浜松工業技術センター客員研究員(〜H16年)、静岡県経営支援アドバイザーとして品質工学(QE)を主としたコンサルタント活動をしている。対外的には日本規格協会名古屋支部主催のQE研究会運営委員、浜松QE研究会代表を務めている。

伊熊貞男(いくまさだお)

1965年静岡大学工学部工業化学科卒業。1965〜2000年三菱化学(株)に勤務。その間、三菱モンサント化成(株)四日市研究所主任研究員・部長研究員、九州大学工学部応用化学科高柳研究室受託研究員、三菱化成(株)ポリスチレン事業部部長、エチレングリコールス・シンガポール(株)副社長などを歴任。高分子分析方法の開発、分子複合材料の基礎研究、耐熱性マレイミド系ABS樹脂の研究開発・量産化・市場開発、スチレン事業技術戦略の構築、海外関連会社の経営合理化などに取り組む。2001〜2007年テクノリサーチ(株)に勤務。日米欧の特許・技術文献検索、先行技術調査、特許無効化資料調査などに習熟。好きな言葉「Tomorrow is another day」。

井坂義治(いさかよしはる)

ヤマハ発動機入社後、主としてエンジンに関しての設計及び技術開発を担当。二輪車初のV型4気筒や世界初の7バルブエンジン、自動車メーカーに特許が採用された吸気制御装置の開発などは自ら開発しリーダーとして推進した。出願した特許は400件以上。また、商品開発としては二輪車エンジンでは小型から大型まで殆どの設計とリーダーとしての開発推進を経験するとともに、他分野では芝刈機用エンジンなど汎用エンジンの開発も経験した。一時期、開発成熟度管理部門を担当した経験から管理技術の重要性を認識し、技術開発においてQCなどを取り入れた効率的開発手法を実践した。ヤマハ発動機グループにおける社内教育では「燃費」や技術部門で唯一「新QC七つ道具」を担当した。2003年に退職後、静岡理工科大学非常勤講師、中部品質管理協会講師、(株)アイデア シニアコンサルタント。また、日本科学技術連盟QFD研究開発部会メンバー。発想法などを活用した特許強化やTRIZによる創造的問題解決が強み。著書に「技術者のための問題解決手法TRIZ」(養賢堂)など。

石川純(いしかわじゅん)

1966年~2007年ヤマハ発動機(株)に勤務。その間、主として補修部品・用品の購買、調達から需要予測、在庫計画、販売管理、ロジスティックス、管理システムや販路とのシステムネットワーク構築等に携わり、それらに関わる戦略や施策の提案や実施及び改革提案を行う。同時に改革提案の具体化のため、システム開発や移行プロジェクトを組織、運営し国内市場のみならず急速に拡大している欧州市場、米州市場、東南アジア市場において、補修部品、用品の調達から販売にいたるサプライチエンマネージメントの構築、改革、強化を実施し、事業の効率化や拡大を実現した。

石塚幸造(いしづかこうぞう)

元トーソー(株)製造本部管理室長。静岡県立浜松商業高等学校卒業。トーソー(株)入社後、製造本部の経理及び生産管理部門に所属。経理部門では原価管理室長・管理室長を歴任、予算編成・予実管理・原価低減活動等、製造管理及び総務の統括責任者として実績。特に原価計算では標準原価計算精度を採用構築し、予実差異分析による利益管理の精度向上に寄与した。1996年上場(東証2部)に際しては、原価計算制度(立案・運用・審査)・部門別利益管理制度及び諸規定等を部門責任者として担当し上場に貢献した。また、海外子会社(インドネシア)の現地人スタッフを指導し月次単位での予算・決算・原価計算他、連結ベースを可能にした。生産管理部門では浜松工場長・兵庫工場長・業務部長を歴任し、業界における熾烈な受注生産品の納期競争に邁進し、外注管理に実績。

植平幹夫(うえひらみきお)

学校卒業後、3年間金型設計に従事する。当時は当たり前であった鋳物等で構成していた金型を、部分・部分解体したパーツで構成する金型を作る。以後、営業職、管理職を経験し、中小企業の発展、成長の糧となる要因を具体的に取り組む。

海野邦彦(うんのくにひこ)

1963年静岡大学工学部精密工学科卒業。1965年うんのくにひこ。1940年生まれ。1963年静岡大学工学部精密工学科卒業。1965年東北大学大学院修士課程終了精密工学専攻。1965―1998年豊田工機(株)勤務。取締役、常務を歴任。工作機械要素、エンジン用研削加工機、超精密加工機、マシニンギセンタなどの開発に従事。研究開発部門担当、工作機械メカトロニクス事業を担当。また自動車備品事業(パワーステアリング、等速ジョイントなど)担当。この間日本機械学会評議員、工作機械工業会技術委員、砥粒加工学会副会長を歴任。神戸大学、秋田大学非常勤講師歴任。1998-2005年豊田バンモップス(株)(豊田工機と仏サンゴバンの合弁会社)代表取締役社長を歴任。超砥粒(ダイヤモンド、CBN)工具事業に従事

大城信昭(おおしろのぶあき)

1967年金沢大学工学部機械工学科卒業。1967年〜2004年ヤマハ発動機(株)に勤務。入社後設計チーフとして多数の二輪車用エンジンを開発・生産移行。1983年エンジン技術の海外販売プロジェクトに兼務として参加。1986年に技術部長として新商品であるエンジン駆動のエアコン,“GHP”の開発・生産準備を担当、事業立ち上げ。1990年に研究部門に異動し、二輪車電子制御を担当する制御技術部長、1992年技術電算・人間工学・二輪車用材料・CAEを担当する第二研究部長、更に1994エンジン研究も加えた基盤技術研究部長を歴任。1995年ロサンゼルスの現地法人YMUSへ技術担当副社長として赴任し新商品開発、二輪車用アクセサリー部品開発、技術法規関係、商品評価等の部門を統括。2000年に帰国、研究創発センターで研究部門の特許体制の構築に貢献。

太田雅巳(おおたまさみ)

販売コンサルタント 1961年浜松商業高等学校卒業 1967年鈴木自動車工業(株)(現:スズキ(株))に入社 2003年定年退職。その間スズキ信販(株)出向 二輪営業部、特機営業部で営業指導、生産・出荷担当。40歳の時に営業技術に興味を示して勉強を開始。次第にのめり込んでいった。人間学研究の浜松木鶏クラブに入会。異業種交流「セールス道研究会」を立上げ主宰する。2000年にセールスの本「人が売り場セールス道」を出版。地元百貨店の遠鉄をはじめ、浜松倫理法人会、SBS学院等で販売研修を実施している。褒め方研究、サンキューレター、良い情報の収集・発信等は好評である。

大平博三(おおひらひろみつ)

1968年静岡大学工学部工業化学科卒業。1973〜2004年エンシュウ(株)に勤務。生産技術部長、製造部長、ISO事務局を歴任。工場増改築、生産設備の調達、維持管理と共に安全衛生管理、公害防止管理(浜松市公害防止と協議会の委員としても貢献)を推進。衛生管理者、公害防止管理者、作業環境測定士、甲種危険物取扱者他の関連資格を有す。近年は事務局責任者としてISO9001、14001の認証取得に係り、計画立案から取得、その後の維持まで担当した。

岡村忠(おかむらまこと)

1967年、慶応義塾大学工学部機械工学科卒業。ダイハツ工業(株)にて軽自動車用エンジンの開発に7年間従事し、1974年にヤマハ発動機(株)入社。モーターサイクル・ATV用エンジンの開発に従事し、ATV開発部長、モーターサイクルエンジン開発部長を歴任。その後ガスエンジンを利用したエアコンの開発部長として省エネルギー機器の開発を主導。1996年に同社取締役GHP事業部長に就任、事業拡大に寄与。その後、同社の環境対応、品質保証を担当後、1999年に同取締役を退任。(株)ワイ・イー・シーの常務取締役、同代表取締役を歴任し、その間、グループ各社の開発支援事業および、独自商品の開発体制の強化に注力。2004年に代表取締役を退任し、顧問に就任。

小川直人(おがわなおと)

1967年法政大学工学部経営工学科卒。1969〜1998年スズキ(株)に勤務。生産管理部、資材部、国内営業部を経験し、その後生産調査課では生産管理システム再構築P/Jに参画。生産技術開発部では、工場管理用/製造管理用コンピュータのネットワーク化と生産・品質管理、製造原価低減管理等のシステム開発/導入。これらのシステムをベースに協力会社向けや海外生産拠点向けのスズキ標準システムを構築し導入を行った。その後湖西工場(スズキのマザー工場)の技術課、ノックダウン工場で生産システムの改善と生産性向上活動を推進。退職後は、中小企業向けにISO関連(品質/環境/食品分野)のコンサルテーションを個人事業としてビブレ小川を主宰して展開。保有資格:品質マネジメントシステム審査員。又得意とする技術経験分野は自動車製造、樹脂成形、プレス、金型製造、金属加工、スポット溶接、及び食品加工。

鹿島俊弘(かしまとしひろ)

工学博士。1964〜2000年東洋紡(株)に勤務した。その間、共重合ポリエステル樹脂(バイロン)について、岩国工場での製造及び、東京支店での市場開発に当たった。この商品は40年を超える現在でも、東洋紡(株)の機能材の柱となっている。この研究により、1983年京都大学より学位を得た。その後、総合研究所で一貫して、東洋紡(株)の新事業開拓のための研究に従事した。その内容としては、ポリマーアロイ、有機系光デスク、LB膜、セラミックスなどである。その内、主な研究としては極低温材がある。こればNEDOの資金を得て、東洋紡、九州大、上智大の枠組みで実用化に向けた研究を実施したものであり、プロジェクトの中心的、役割を果たした。東洋紡(株)退社後、静岡大学、京都工芸繊維大の客員教授、及び浜松地域知的クラスタの科学技術コーディネーターを歴任した。現在は静岡大学工学部の講師である。

金児孝昌(かねこたかまさ)

静岡大学工業短期大学部機械工学科卒業。1961〜2002年ヤマハ(株)に勤務。1995年〜ヤマハ取締役。1999年〜ヤマハ顧問。その間、電気楽器(エレクトーン)の機構開発、設計、生産技術、オーディオ機器の開発設計、生産技術を担当、その後電子デバイスの新規事業立上げを担当し、薄膜磁気ヘッド、光ディスク、ISDN通信機器事業を次々と立上げ、その間業界でのコンソーシアムを通じて人脈を活用、また海外生産の推進を積極的に展開し人脈作りを行った。現在は「KMA.Lab」を設立し企業の新規事業立上げ支援、工場合理化、コストダウン、品質管理支援の活動をしている

亀崎亮介(かめざきりょうすけ)

元本田技研工業(株)電子・電装技術主幹。1961年福岡県立三池工業高等学校電気科卒業。本田技研へ入社。62年から(株)本田技術研究所でエンジン発電機開発の電装品設計を担当後、本田技研・浜松でエンジン発電機開発のプロジェクトリーダー業務。90年本社で海外生産の企画業務を担当。海外部品メーカーの製造工程を調査して機能部品の現地調達化を検討。汎用機海外生産拠点の収益改善を支援し収益改善に寄与、技師に認定される。92年からスタンレー電気(株)に派遣され、同社の品質マネージメント強化に協力、重要品質問題発生時の是正処理および源流改善をコーディネイト。ISO9002認証取得業務のマネージメント。95年原籍復帰し汎用機商品開発の設計業務を技術マネージメント。99年から品質管理室の技術主幹として二輪車・四輪車ATミッション・汎用機の品質評価開催時のアドバイザー役を務める。人材育成担当者を兼務して班長・係長・新任管理職クラスを対象に社内研修を実施。03年1月退社。

河島武(かわしまたける)

1963年静岡大学工学部電子工学科卒業。(株)理研光学(後の(株)リコー)に入社。1965年末まで勤務。オフライン小型データテープ作成機開発、小型電子計算機保守に従事。1966年より浜松工業高校電気科教諭。1971年に浜松城北工業高校に転勤。同校にて以降33年間勤務。エレクトロニクスの基礎。特に電子実習教育および工業技術英語の教育・普及に尽力。その間、電子科長、進路指導主事として共に8年ずつ勤めた。2001年からは保護司としても活躍している。

河村彰弘(かわむらあきひろ)

1971年名古屋大学工学研究科応用物理過程終了。1971年スズキ(株)入社。自動車及びモーターサイクル米国安全規制・排気ガス規制の法規をクリアするため、米国駐在を含め情報収集・コメント提出を行う。帰国後、自動車を各国法規に合格させる認可取得業務に従事。40歳の時新規事業部にて超音波・画像解析装置の開発責任者を推進。多くのベンチャー企業を訪問し、人脈と技術を学ぶ。その後原価管理・購買にて数多くの企業・工場を訪問し、VEを通じたコストダウンを実現。2001年に4月にスズキ(株)を退職し6月にコンピュータソフト会社(株)イーステート設立。ソフトを低額にて貸し出す業務・インターネットを通じた売上増・コストダウン業務の他、5S指導者・物流指導者を中小企業に派遣する業務も行っている。2002年アクティブシニアネットの設立と共に副会長に就任。大企業退職者の趣味・ボタンティア・就職の支援も行っている。

河本登(かわもとすすむ)

1970年松下電器産業㈱に入社。同社電子部品事業本部、松下電子部品(株)、パナソニック エレクトロニックデバイス(株)に所属、高周波部品事業部開発部長、部品本部渉外担当部長等を歴任。1970年~2000年まで約30年間テレビチューナ、高周波部品をはじめとする事業展開の核となる各種商品開発、電子部品・半導体デバイスなどの技術開発を担当し、事業部門の事業展開・拡大に寄与した。2000年から約7年半、電子部品本部スタッフ部門の業界・渉外担当部長として、(社)電子情報技術産業協会(JEITA)をはじめとする多くの業界活動に参画。特にJEITA電子部品部会、統計予測委員会、技術委員会等の委員会要職を担当し、電子部品業界のグローバル化に対応した統計・調査事業の基盤や諸施策の構築をはかるとともに、業界発展に尽力した。

菊池喜一郎(きくちきいちろう)

1969年静岡大学工学部工業化学科卒業。1973〜2002年FDK(株)に勤務。磁性材料の開発、工程設計、工程改善など製造技術を担当し、その後、長年にわたって品質管理を担当。その間、フェライト及びその応用製品の工程品質改善、トラブル解析、製品品質保証、TPM活動、標準化、品質/環境マネジメントシステムの構築・維持、環境会計システムの構築を推進。また、品質保証部長として、品質マネジメントシステムの全社展開、全社の品質保証を推進。2002年にFDK(株)を退社。JRCA/CEAR審査員資格を取得し、現在、ISO9001/ISO14001の審査員として、また、ISO9001/ISO14001認証取得・維持改善の支援、セミナー講師など品質/環境コンサルタントとして活動。

木村高廣(きむらたかひろ)

1972年熊本工業大学機械工学科卒業。アスモ株式会社に勤務。その間自動車用小型モータの研究開発で知的財産を担当し、後に知的財産部門を設立、以降出願からライセンスまでの業務を携わり、米国・EU・韓国・台湾等技術移転を実施。また、監査部門において、組織の業務監査に携わり企業業務全般のプロセス知識を得て、ISO9001、ISO14001のマネジメントシステムの全社推進事務局長(関係会社含む)として、認可取得から業務改善の全社展開を歴任。EUでの環境負荷物質規制から自動車部品の環境負荷物質の調査及び材料メーカーとの協業で生物に影響する化学物質の抽出一覧と検索システムの構築に貢献。 ISOのマネジメントシステムの経験からISOコンサルタントを実施、自動車部品関係から機械、食品、農家への認証取得支援アドバイザーを行う。直近では、関東経済産業局のベンチャー事業の助成金申請を受け紫外線硬化塗料開発と生産技術を確立する。

小森康弘(こもりやすひろ)

中小企業診断士。大阪市立大学〈法〉卒業。1965年から2000年までヤマハ㈱勤務。住宅機器事業部において本社スタッフ(営業、商品企画、広報、サービスなど)から支店、営業所のマネージャーまでオールラウンドなメーカー営業を経験。1987年には本社総務部でリスクマネージメントを行い。1990年から2000年までヤマハ㈱の情報、通信、ドキュメントサービス分野の子会社において経営を行う。特に新ビジネス分野開発に注力した。2001年晴秋経営研究所を開設し、バランスト・スコアカード手法を使った企業の経営戦略づくりをサポートしている。経営者のパッション、ミッションの実現、学習する組織集団づくりの実現を目指している。

小山崇(こやまたかし)

1962年岡谷工業高校機械科卒業。1962年~2004年ヤマハ発動機㈱に勤務。その間、二輪車サービス、二輪車商品企画、特機商品企画、二輪車用品、自動車エンジン生産、環境施設、地球環境室の業務を担当した。一つの部門ではなく販売、商品企画、製造、環境と異種の部門の経験をしたことは専門性では弱点でも視野を広げる体験を得ることができたといえる。環境施設においては企業グループの産業廃棄物を一括して自社内での焼却処理の実現への推進、環境マネジメントシステムの導入、各サイトの土壌汚染の調査と対策の推進。2002年からは使用済み二輪車のリサイクルシステムを業界として自主で構築するワーキンググループのメンバーとして推進に当たった。

坂田寿勝(さかたとしかつ)

1967年慶応義塾大学工学部機械工学科卒業。1967年〜2004年、エンシュウ(株)に勤務。織機(ウォータージェットルーム)、丸編機、ディーゼルエンジン、工作機械(マシニングセンター)等の製品開発を担当。特にマシニングセンターは従来のスタンドアロンからライン用に開発し、現在カーメーカーで主流となっている設備を業界に先駆けて開発し納入実績を持つ。次いで、営業に転じ、技術と営業の融合を推進。その後、監査役としてコンプライアンス、CSR、不良資産の徹底排除に注力。エンシュウ(株)退職後、零細企業に社長として迎えられ、各種管理指標、規則を作成、3D-CAD等オフィスオートメーションを進め、従業員教育を徹底し、赤字企業からの脱却に導いた。

笹田尚利(ささだなおとし)

1964年大阪大学工学部精密工学科応用物理コース卒業後、ソニー株式会社に勤務し、VTR用磁気ヘッドの開発及び生産技術担当。1973年ヤマハ発動機株式会社に転職し、1999年まで勤務。その間、小型汎用エンジン及び各種エンジン応用新製品(エンジン発電機、小型ガスエンジンヒートポンプ、ゴルフカート等)の研究・開発担当。専門は計測実験技術。1991年より工場環境委員会事務局として、全社生産部門の廃棄物・省エネ活動等の環境保全活動を推進し、産業廃棄物焼却・熱回収施設を企画・導入。更に、ISO14001監査員補として全工場サイトの認証・取得活動を推進。退社後は、浜松職業能力短期大学校の非常勤講師(数学、計測工学担当)を経て、現在は環境省の定める「環境カウンセラー」及び「エコアクション21審査人」として、中小事業者の環境経営への取組みを支援中。

佐藤久夫(さとうひさお)

1968年九州工業大学二部電気工学科卒業。富士電気化学(株)〔現FDK(株)〕に入社。マイクロ波フェライト、誘電体材料、誘電体分波器の開発、製造移管、(特許賞をもらう)誘電体積層フィルタの商品化(拡販)日本電子工業会誘電体部会標準化WG参加(誘電体フィルタの測定標準化行う。)マイクロ波材料(セラミックス)に始まり、その測定系、誘電体フィルタ・分波器・積層フィルルタとパッシブ部品の商品化の一連業務プロセスを通じ、新技術開発に取り組む仕事の進め方、のノウハウを蓄積。上記の豊富な経験を通じ、材料、部品の開発手法、情報収集(製品・特許)、システム化、人材育成、長期研究開発計画の策定ならびに問題点解決には十分自信を有す。

佐藤一二三(さとうひふみ)

1965年~2007年松下電器産業(株)に勤務 その間、洗濯機の製造部門に於ける原価管理を主体に、コストダウン推進,VE活動、購買、新製品推進、見積もり原価、収支改善、等、製造部門の「もの造り」に於ける原価管理を推進、特にコストダウン活動では、電気洗濯機の原材料、構成部品、部材、包装に至る、すべての使用材料のVEで機能分析~コストダウンに結びつけ社内のVEリーダーとして活躍し活動組織の『タコ吊り』を社内に位置づけ、VEの権威であるVEマイルズ賞を受賞、2004年~2006年には海外からの商品持ち帰りの原価管理を推進、中国からの持ち帰り貿易原価管理、2006年~2007はタイパナソニック社の原価管理コンサルタントを務め海外工場の原価管理の仕組み造り、コストダウン活動の指導実績を持つ。  

白柳勤一(しらなやぎきんいち)

1961〜2003年 エンシュウ(株)に勤務。 その間、工作機械の販売に従事し、名古屋支店長、工作機械の統括部長、営業部長を歴任。 最終役職は理事。特に営業柄、中小・零細企業に直接訪問しての営業活動に実績。地元(静岡県西部)では人脈あり。

菅沼和三郎(すがぬまわさぶろう)

元NTN(株)常務取締役。1968年大阪大学工学部精密工学科卒業。1968~2008年NTNに勤務。カルダンジョイント、等速ジョイント、ニードル軸受の実験、オーバードライブ装置の開発などに従事した後、等速ジョイント技術部にてFF車用ドライブシャフトの設計を担当。製品設計、自動車メーカーとの折衝、技術問題の解明に奔走。1986~1993年まで米国デトロイトに駐在。米国ビッグ3や日系自動車メーカーとの間で、等速ジョイントを主に、自動車用軸受に関するビジネス、技術交渉にあたった。帰国後、磐田製作所品質保証部長、等速ジョイント技術部長、自動車製品技術部長を歴任。品質技術課題の処理、軽量コンパクトEシリーズジョイントや低振動ジョイントPTJの開発を推進。その後、全社技術、中国事業を担当した。退任後顧問となり、若手技術者らと新型コンパクト固定式ジョイントCUJを開発。

鈴木秀治(すずきしゅうじ)

1965年静岡大学工学部機械工学科卒業。同年遠州製作(株)(現エンシュウ)に入社。革新織機ウォタ−ジェットルームの高速化、広幅化の研究開発に従事。繊維事業部撤退に伴い、イタリアに製造販売権移転に伴う技術指導を経て、昭和53年専用工作機械メーカー遠州クロスに移籍。専用機の設計、開発を担当後、技術部長として設計品質や効率向上のための標準化、技術的課題の解決、原価管理・CAD,図面管理システムの構築など推進。エンシュウ(株)との合併後、技術統括取締役として専用機・マシニングセンターの新技術開発、静岡大学工学部との共同開発推進など技術部門の管理運営および品質向上対策、ISO9001の認証取得・定着推進など品質部門の管理運営を担当した。 対外的には日本工作機械工業会技術部会技術委員、静岡理工科大学特別講義の講師を歴任し、退社後、技術コンサルタント「スズキテクノオフィス」設立し、現在、メーカーの技術顧問、特許流通アソシエイト。

鈴木直博(すずきなおひろ)

1970年工学院大学機械工学科卒業。同年旭可鍛鉄(株)(現旭テック㈱)に入社。1973年~1974年に(社)発明協会工業所有権研修センター第1期研修(8カ月間)および日本碍子㈱での知財実務研修(8カ月間)を受講。その後現旭テックにおいて、経営(事業)戦略をバックアップする知的財産戦略の立案と執行をする中で、新製品(技術)の研究開発の支援、発明の奨励、知的財産管理システムの構築、社外専門家(弁護士、弁理士等)との連携、有効な知的財産の取得とその活用、知的財産に関する紛争の予防と解決、経営戦略に基づく知財関係の契約の立案・交渉・フォロー並びに知的財産に関する啓もうと教育に努めてきた。社外活動としては、1989年から(社)発明協会静岡県支部 パテント部会の幹事(94~97年部会長)、1995年から浜松市産業情報室利用者協議会 幹事、2006年から同協議会 知財問題研究部会の幹事(06~09年部会長)として、県内企業内の知財担当者および個人の知財マインドおよび知識の向上に努力している。資格 二級 知的財産管理技能士(管理業務)。

武隈宏之(たけくまひろゆき)

1982年北海道大学理学部地質学鉱物学科卒業。国土防災技術(株)を経由して1991年に静岡市の(株)環境アセスメントセンターに入社。地域環境計画等の企画営業担当を経て、1996年より、同社の保有する雨水利用システム関連の特許に関するライセンス業務、特許管理を担当し、ライセンス営業・契約・管理、特許侵害裁判対応、無効審判対応などに奔走する。その後、屋上緑化工法、保水性舗装関連など環境土木分野の特許なども取り扱う。2005年に同社を退社して、HTコンサルタント(資)を設立し、中小企業を対象とした知的財産戦略コンサルティング、知的財産取引仲介などを手懸けている。2005年の日中水フォーラム分科会座長を務める。

中川貞夫(なかがわさだお)

1967年一橋大学法学部卒業。中小企業診断士、ITコーディネータ。ヤマハ発動機(株)に入社し、子会社を含め生産管理システム構築、業務改革、人事制度企画の推進リーダーを担当。(株)アルファ情報システムズにて常務としてシステム外販事業の事業開発、顧客開拓を担当。その過程で地域の中小企業に対して数々の中小企業の中期経営計画、情報化計画、業務改革プラン策定を支援。自ら事業経営の経験を有し、中小企業経営者の気持ちを理解して助言できるのが強み。静岡大学情報学部および東海職業能力開発大学校講師として情報活用、情報戦略を担当。

中野有二郎(なかのゆうじろう)

ヒューマンエヌユウ社員研修コンサルタント、HOD・ステップアップ・MBC等の研修講師。1957年興誠商業高等学校卒業後、本田技研工業(株)入社、製作所・本社・研究所で勤め、資材/購買課長・ブロックリーダー・主幹として購買全般業務を担当。主として取引先、原価管理では各々の戦略策定や取引先支援に実績を挙げる。また、取引先と一体となった新機種開発をスムーズに展開するための提案・推進の実現。これにより開発期間の短縮、コスト低減による目標達成、一方新機種ではプロジェクトリーダーとして目標コスト達成に努めてきた。退職5年前から明日を担う人材育成の仕事に携わり、人材開発の発掘・育成・活用のための研修とフォローを実施、多くの管理監督者が育ってきた。現在はこれまでの経験を活かし、中小企業に対しての戦略立案、問題解決、課題達成への取り組み、企業管理者育成を行う社員研修講師活動を展開中。

中村公之(なかむらきみゆき)

1967年静岡大学大学院工学研究科修了。1967〜1998年ヤマハ発動機(株)に勤務。その間トヨタレース活動用のエンジン開発に参画など主に研究開発を担当。ヤマハモータインドネシア製造(株)社長、MBKインダストリー(フランス)社長。ヤマハ発動機(株)取締役を歴任。その後、ヤマハ発動機(株)子会社 (株)YEC社長を歴任。

中村穣治(なかむらじょうじ)

1963年静岡大学工学部電気工学科卒業。1963年〜2000年松下電器産業株式会社に勤務。その間、松下電子部品株式会社にて高周波関連の技術責任者、多チャンネルTV受信技術の開発によりオーム技術賞を受賞、機構ユニット事業部長および福井松下電器・出向社長、松下電子部品(株)取締役として海外事業場責任者を歴任、帰国後松下電器産業の生産部財営業責任者として国際インダストリー営業所長を担当、その後松下幹部人材の早期育成を図るため人材開発センター・東京研修所所長、マネジメント研修所所長を担当、新たなミドルマネジメント育成体系を完成し松下経営改革の一端を担った。2000年松下電器産業を定年退職後浜松市に戻り地域企業のASTI株式会社参与および静岡大学イノベーション共同研究センター客員教授として産学協同のコーディネータとして現在に至る。静岡理工科大学のMOT講座開発にも参加。その他、異文化交流・グローバル人材育成の講師担当。松下電器産業(株)客員。

中村雄一(なかむらゆういち)

1963年静岡大学工学部精密工学科卒業。1963年~2007年6月まで44年間スズキ㈱に勤務。湖西工場長・インドマルチウドヨグ(現在マルチスズキ・インディア社)副社長、その後取締役・常務・専務として本社生産本部長をつとめた。取締役退任後、再度マルチスズキ社副社長を務めた後、中国・北米などの海外工場の経営支援・工場改善指導を務めた。この間、主に生産技術で二輪車・四輪車・船外機などの加工・組み立て・塗装など表面処理技術を担当、さらには国内外の工場計画・建設(豊川工場・湖西工場・関係子会社、海外ではインドネシア・台湾・インド・アメリカほか)を担当した。また生産管理・生産方式改善・購買業務・工場経営・生産現場の改善指導・品質管理・外注指導など生産全般の業務を遂行した。

西村正隆(にしむらまさたか)

1969年米国レ・ターノー大学工学部機械設計科卒業。元ヤマハ(株)電子デバイス関連事業営業部長、海外製造子会社社長などを歴任。生産技術関係を主に、木工・塗装関係、音響製品、電子デバイス関係など広範囲な製品事業に携わる。その間、国内工場の生産合理化計画、米国とマレーシアで製造工場の企業化調査から設立、運営までの全般にわたり実績。その後、国内の新規デバイス事業展開で営業責任者として海外顧客開拓を積極的に行い、同時に技術契約交渉など多数実施し、数年間で多大な利益貢献を実現した。また、在職中、35年間にわたり海外ビジネスに関わり、製造から営業までの多大なノウハウを有する。退職後、コンサルタント業務を開始、大手企業の新規事業展開、中小企業の中国工場立直し計画、各種翻訳・通訳、また浜松市国際課の施策づくりに参画し市長へ答申実績。

二村正夫(にむらまさお)

元ヤマハ発動機(株)参与。PAS事業部営業室長。1966信州大学教育学部卒業。1969年ヤマハ発動機(株)入社2000年まで勤務。この間、モーターサイクル小卸営業をスタートに営業所長、本社・支社の営業スタッフ。ヤマハ関西(株)常務取締役として販売会社の経営管理、販売網、チャネル開発に従事。“営業の成果は必ず因果関係がある”信念から、幅広いマーケティング活動を実践。1993年世界新商品電動ハイブリッド自転車「PAS」の国内導入期から10万台体制実現の本社営業室長。1999年ヤマハ発動機(株)の関係子会社 創輝(株)に取締役総務部長として出向。製造会社の中期計画策定、経営改革に寄与。2004年退任。

藤田浩嗣 (ふじたひろつぐ)

中央大学経済学部卒。自動車部品会社で品質保証業務を経験後、平成8年8月に開業し、ふじた経営研究所を設立。現在、カムイブレインスコンサルタント㈱代表取締役。ISO9001認証取得コンサルティング実績は、製造業を中心として100社を数える。その他、経営コンサルティング10社、経営診断約40社。ISO9001審査員補、ISO14001審査員補、中小企業診断士、社会保険労務士。

細田康弘(ほそだやすひろ)

1965年早稲田大学理工学部化学工学科卒業。3年間(株)三共油化に勤務。1968年(株)石川鉄工(現在のソミック石川)に入社。当初は技術部配属でプラスチック部品の内製化に従事する。その後機械加工、組付の生産部門に配属され、トヨタ生産方式、TPM活動を実践する。この間に静岡県職業能力開発協会の依頼で射出成形技能の検定員を勤める。のちに海外事業展開に参画し、5年半のあいだインド出向を終えて2001年に退職。

本間稔(ほんまみのる)

中小企業診断士。ISO9001品質管理マネジメントシステム、ISO14000環境管理マネジメントシステム審査員補。65〜72年日本ラジエーター(株)に勤務。ラジエーター、マフラー関連の生産技術を担当。72年〜98年ヤマハ発動機に勤務。燃料タンク、ホイルなどの生産技術部門を担当し、プレス・溶接工場の建設、自動プレスの導入、生産準備業務を行う。TPM活動の推進、TQC活動の推進事務局、全社的なCAD・CAM・CAE推進事務局にてシステム化を推進。少量生産工場の品質改善活動を指導。ラッピドプロトタイプの導入を図る。デザイン、モデル製作、試作、金型および設備の生産準備、工場建設と開発の上流から生産までを通して実務を経験し合理化を行った。1998年8月から(株)ワイ・イー・シーにて自動化設備製作部門の経営を担当する。2001年10月本間経営事務所を設立しコンサルタントを開始。しずおか産業創造機構技術アドバイザー、静岡県商工会連合会技術アドバイザー、浜松商工会議所技術バイザー、静岡県中小企業再生協議会技術アドバイザー、雇用能力開発機構ポリテクカレッジ浜松講師。

前田茂(まえだしげる)

中小企業診断士、販売士1級、森林インストラクター。1955~1996日本楽器製造㈱・現在のヤマハ㈱に入社後ヤマハ発動機㈱に出向。出向先では、販路開拓、物流部門取引先の組織化による物流改善推進、マリン製品の販売及び商品企画による収益部門化、部品物流システム開発と国内約5,000店の販売店との情報ネットワーク構築、国内及び全世界的部品供給拠点の統合及びネットワークシステム構築による、高度供給サービスと高収益の実現を担当した。同社を定年退職と同時にコンサルタント会社を設立後まもなく、第三セクター会社の竜洋環境創造㈱の専従役員に就任。キャンプ場、昆虫公園、地場産品売店と入浴施設の3事業所の、ISO環境及び品質の同時登録や高度なIT活用を実現するなど、黒字経営とCSR(企業の社会的責任)遂行を継続した。

溝口徳(みぞぐちさとし)

工学修士。静岡大学工学部勤務後1970~2007年大日精化工業(株)に勤務。本社事業本部室にて全社の製造技術の合理化・設備投資の企画立案。技術研究所にて顔料製造方法の改良・工程合理化の研究。その他、設備設計(ポリエステル・ポリオール製造プラント・顔料製造プラント・環境対策プラント・インキ濾過機開発 等)に従事。主力事業所にて統括部長 事業所環境管理責任者としてEMSの構築と運用の指導。大気・水質・騒音・悪臭等7公害対策・廃棄物のゼロエミ化・化学物質の総合管理・製品の安全管理確保まで広範囲にわたり環境に配慮した経営(CSR・コンプライアンス)に参画。環境関連技術としては、微生物利用の独自の脱色、脱臭・ザイク荷電膜(国際特許)を大学と共同開発に成功。対外的には化成品工業会 環境保安委員会委員長、技術委員会委員を歴任。現在 静岡県環境カウンセラー協会理事・エコアクション21審査人・磐田商工会議所EA21地域事務局勤務。

宮武哲(みやたけさとし)

1964年静岡大学工学部精密工学科卒業。1964〜2003年 NTN(株)に勤務。その間ベアリングの製造設備の開発に従事後、製造部門の課長、三つの工場長を歴任し取締役に就任。取締役として長野地区、岡山地区の事業場を統括した。関係会社の工場診断も常時実施した経験を持つ。工場部門における業務全般に精通し、目標管理・品質管理・原価管理等の計画立案と推進を通じ会社の利益計画を達成することが専門である。工場のシステムや製造現場の判断に基づく改善にも豊富な経験を持っている。会社方針を目標管理の手法で製造現場へブレークダウンし、労働生産性向上、製造設備の改善等を行うのが得意である。品質ISO、環境ISOの認証取得の権尊にも実績を持つ。

宮地純夫 (みやちすみお)

1973年金沢大学工学部精密工学科卒業。中小企業診断士、ISO14001審査員補、公認内部監査人(CIA)。1973~2007年ヤマハ発動機(株)に勤務し、エンジン研究開発、エンジン設計、エンジン製造、環境、内部統制監査業務を担当。この間に、エンジン技術・製造技術・環境技術(省エネ/省資源/廃棄物削減)分野、工場経営・工場診断分野、生産準備活動・合理化活動・TPM活動分野、ISO9002認証システム構築・ISO14001認証システム構築分野、内部監査(環境/品質/内部統制)分野の知識を習得。2008年中小企業診断士事務所を設立。(財)しずおか産業創造機構の技術コーディネーターとして委嘱を受ける。

宮原敏治(みやはらとしじ)

1964年〜2005年松下電器産業(株)に勤務。その間 インダストリー部門にて松下グループ内の生産部材・電子デバイスの外販営業を一貫して担当。(静岡・名古屋・大阪・鳥取・東京地区) 東京にてはインダストリー本部にて松下・東芝・サンデスクが共同開発したSDメモリーカードのデファクト化を図るため,特に需要の大きい国内外のデジカメ業界・携帯電話機業界のSDA加盟とSDメモリーカード採用の働きかけに奔走。今日SDカードは世界のスタンダードのメモリーカードとなり広く普及、デファクト化の一翼を担った。

柳本勝(やぎもとまさる)

1972年早稲田大学教育学部卒業。1972~2008年ヤマハ(株)に勤務。情報システム部門で、教育学で習得した人間理解とIT技術とノウハウの両面を生かしシステムエンジニアとしてグループ全体の業務システム構築やシステム構築・制度改革プロジェクトマネージメント、ホームページ構築を経験。受発注、物流、会計、顧客管理、販売管理統計、卸販売、小売、環境保全保護対応 等数多くの業務システム構築にたずさわって来た。又、物流改善、会計制度変更、モバイルPC活用営業等プロジェクトも数多く経験。その間欧州現地法人駐在中はドイツを初め、英国、フランス等欧州9カ国の現地法人システム構築とITコンサルティングを経験。帰国後、システム利用部門のシステム推進窓口としてシステム案作成、提案に従事。又、グルーブ企業ではシステム構築をはじめ、ネットワーク、ハードを含め情報システム部門マネージャーとしてIT全般の管理・運営を歴任。現在、長年培ったIT関係ノウハウや業界に対する幅広い知識を生かしIT関係コンサルティング、システム構築全般の支援活動を行っている。

山崎昭治(やまざきしょうじ)

1966年静岡県立浜松南高校卒業。家業などを経由して1977年株式会社ユタカ技研に入社。ボイラー技士として空調設備の運転・保守管理に従事海外進出を始めISO認証取得・得意技造り・生産機種統合など多くの企業プロジェクトに参画。25年間の勤務生活で工程改善・省資源・省エネルギーなどムダ・ムラ・ムリの排除に尽力。生産機種統合で(株)本田技研工業・パーツ事業部より開発賞受賞に尽力。設備の運転・保守・管理の現場体験から「現場発の革新・改善」を得意とする。2002年退社後中小企業の経営支援アドバイザーとして個人事務所エコプランナー開設。現在(財)しずおか産業想像機構経営支援アドバイザー・浜松商工会議所OB人材として登録。

山田高史(やまだたかし)

貧乏小作百姓家に生まれ正直者の両親の愛情で素直に成人。1960〜2001現ヤマハ(株)に勤務。その間、恵まれた企業環境の中で設計・開発・製造・経営企画等、多岐業務を推進する機会を得て、諸々にチャレンジ出来た為、多くの雑学を吸収する中で、人の心の尊さを学ぶ。浅学凡才の己に出来る事は人の心を大切に何事のチャレンジにも赤誠を尽くせば、事は成すと肝に命じて業務に取組む姿です

山本寛(やまもとひろし)

工学修士(航空工学専攻)。1966年〜2000年ヤマハ発動機(株)に勤務。その間にモーターサイクルの開発、海外駐在(アメリカ)、品質管理を担当。現在の燃焼理論では説明できない燃焼(爆発)をライフワークとして研究。常温核融合現象の品質管理的な問題整理の結果、Dr.Millsの水素原子から未知のエネルギーが発生するとする説:BlackLight Processを用いれば、従来説明不可能な異常な発熱現象が説明できることを発見。(株)アパックスの廃プラ油化燃料のエマルジョン化 → 自家発電システムを構築。対外的には静岡大学工学部非常勤講師(確率統計)、静岡理工科大学非常勤講師(工業経営)、日本自動車技術会小型エンジン国際会議対応委員会の委員,副委員長、委員長を歴任。“さようならエンジン燃料電池こんにちは”  1999年 東洋経済新報社、により1999年交通図書賞を受賞。

山本操(やまもとみさお)

1973年よりヤマハ発動機(旧ヤマハ車体工業)勤務。その後ヤマハ発動機㈱出身のコンサルファーム(佐藤生産管理事務所)へ移籍し、中小企業の経営管理の研究、指導をし、第1戦でも実践を積んだ。この間に中小企業診断士(旧鉱工業部門)取得。2000年のITコーディネータ認定事業に伴い標準テキストを執筆し、第1期ITコーディネータとなった。2003年より静岡産業大学経営学部「ITと企業経営」担当講師。

吉田建彦(よしだたけひこ)

技術士(経営工学、総合技術監理)。ISO9001審査員補。1968年~2004年NTN株式会社に勤務。その間同社生産技術研究所において、研削加工を中心とする生産加工技術開発に従事し、その経験を生かしミニアチュア軸受製造技術開発を担当し、同製作課長も勤めた。本社で技術管理課長職の後、米国の子会社NTN-BOWER株式会社ハミルトン工場で製造技術ディレクタ-として製造技術・品質管理など指導。帰国後NTN桑名製作所で品質保証部長、製造技術部長として製作所の技術部署を統括。その後本社品質管理部付参事として主として全社に亘る品質管理業務を指導。2004年定年退職。吉田技術士事務所を設立し、引き続きNTNやその他中小企業の技術/品質管理の業務に従事。しずおか産業創造機構経営支援アドバイザー、ム-ディ-・インタ-ナショナル・サ-ティフィケ-ション式会社所属ISO9001審査員補、株式会社中部技術支援センタ-登録コンサルタント、静岡県技術士会常任理事としても活動中。

和田邦彦(わだくにひこ)

中小企業診断士。1965年早稲田大学第一理工学部工業経営学科卒業。1965年4月~2000年7月ヤマハ株式会社に勤務。ヤマハ(株)を定年退職するまでの35年間、生産技術統括部門にて、数多くの工場計画プロジェクト(立地選定、工場建設、工程設計、レイアウト、設備設計、生産立ち上げ)に参画した。「もの作りの現場」での生産管理や工程設計では、作業分析、作業標準設定、標準時間設定など、実践活動を通じ、技能職人による工程と機械加工による工程を棲み分け生産効率化を推進。小集団活動と改善提案活動は両輪として仕組み作りと実践を全社事務局として推進.。生産現場の中堅幹部養成のため、ヤマハ高等技能学校の講師, また、もの作り現場の実践合理化隊の隊長として現場の若手幹部の育成に努めた。ヤマハ定年退職後「ワダ・コンサルオフィス」を設立。中小企業を元気で活力を維持できるよう支援。