九州支社

相賀宏(あいがひろし)

1967年九州大学工学部大学院修士課程(合成化学専攻)卒業。1967年〜2002年三井化学(株)に勤務。この間一貫して、合成染料をはじめとする色材関係の業務に従事。新規分散染料の研究、青色顔料インダントロンの製法改良、情報記録用紙機材の開発などを担当。日本合成染料委員会委員長や、色材の安全性に関する国際機関であるETADの日本支部長として、ラベリングの推進など、色材の安全情報の伝達に努力。また、ドイツBASF社との合弁染料工場長として、ISOや、SAPの導入を行うとともに、先方との技術交流に深くかかわった。

穴井佳壽男(あないかずお)

1968年法政大学経済学部経済学科卒業。いすゞ自動車㈱入社後、補給部品の管理、電算業務、自動車販売会社の財務諸表を分析し、問題点の発見と改善策の提案や運転・設備資金の貸付審査を行う。物流会社設立のプロジェクトに参画し、マニュアルの整備や新会社の設立業務を行った。出向先では業務の流れをフローチャート化して、問題点の発見とその改善による業務の効率化を推進した。職員が持てる力を存分に発揮できるやりがいのある企業風土を構築するために、企業風土調査や賃金体系・評価制度の見直しを行った。いすゞ自動車㈱退職後は、経営管理の経験を社会福祉法人や医療法人で実践した。

綾部正隆(あやべまさたか)

1969年中央大学商学部会計学科卒業後、旧九州松下電器㈱(現パナソニックコミュニケーションズ(株))入社。各事業場の資材購買業務を専門に、部品事業より、設備、家庭用通信機器、オフィス通信機器等の幅広い事業体の購買責任者を担当。多くの関連取引先、社内人脈を生かした海外工場の展開・支援に実力を発揮。また、パナソニックコミュニケーションズグループのグローバル購買先駆者として海外に駐在し、海外購買センターを設立、海外工場展開のベースを構築した。幅広い購買経験により、関係先の経営評価、育成、品質管理指導、人材育成、海外展開等の業務に精通し、物づくり支援の経験が豊富。退職後、中国上海企業の資材業務顧問に就任し現地に駐在した。

岩崎和雄(いわさきかずお)

1972年同志社大学経済学部卒業 1972年住友スリーエム(株)入社。当初、ルートセールス(文具業界、雑貨業界)の営業を経験し、一般消費者へのアピール方法 商品の店頭管理を経験。その後、工業用テープ製品を通じて、種々の産業(自動車業界、半導体業界、製紙業界、建築業界等)へのOEMセールスに携わる。業界毎の知識吸収、慣習等を経験しながら、多方面の知識を吸収。顧客の仕様に合った製品の改良、開発の情報収集のコミュニケーション力を育成。この経験を生かし、2002年より2009年1月まで、製品担当事業部を離れ、インダストリアル マーケット センターに属し、業界(住設業界、住宅業界、重工業業界、半導体装置業界)トップ企業のエグゼクティブとの関係強化、企業展示会等の企画立案を通じ調整を行い、間接的に会社業績の向上に貢献した。

太田能史(おおたよしひと)

1960年神奈川大学工学部工業経営学科卒業。経済学博士。1960年厚木自動車部品株式会社に入社。IE業務総括として作業標準化・標準時間設定・職場改善・外注指導育成・VA・QCプロジェクト展開・社内教育等を担当。1971年太田総合経営研究所を設立し経営コンサルタントとして独立。創立当初から工場経営全般に亘り指導育成に努めている。主な支援業務:経営計画書の作成・部門別利益管理システム・ライン別(製品別)原価計算システム等の構築、社内標準化・原価低減活動等の推進、5S活動の活性化、IEの導入・IErの育成、ISO9000認証取得支援及び社内構築の支援、内部監査員養成等個別企業支援と共に、各県支援センター登録アドバイザー・中小企業大学校講師・鹿児島国際大学及び大学院非常勤講師(中小企業論・生産管理・経営学特殊講座)を歴任。海外業務:タイの5S大会審査員、中華民國企業經營管理顧問協會經營管理顧問師班講師(企業綜合診斷與輔導技巧)

加藤敏明(かとうとしあき)

1968年九州松下電器入社。以来一貫して資材職能勤務。本社資材部の契約調達の担当としてプラスチック部品、金属部品等の購入を担当。以降、資材社員教育担当として資材社員の人材育成、全社VE活動の講師兼推進役として普及に尽力。また昭和57年から本社資材部の実務責任者として全社の資材行政および工程外注対策としての外注先行政を担当。平成12年から副理事、資材センター所長として社内、仕入先、協力工場、部品メーカー等全社の資材職能行政、仕入れ対外政策を担当。平成14年九州松下、松下電送の合併時の資材職能統合プロジェクトの責任者として全社資材体制一元化を実現。松下電器グループの資材政策委員として松下電器グループの集中購買の実現など資材行政を担当。平成14年資材VMI倉庫を佐賀に設立北部九州の工場に対するJIT部品供給システムを完成。

清原康男(きよはらやすお)

1965年福岡大学商学部卒業。住友スリーエム入社後東京で自動車補修製品課を立ち上げ、販売促進プラン、新製品導入、価格政策立案、カタログ作成展示会企画等を手掛けた。札幌支店、福岡支店では市場開拓販売網確立、特約店育成、自動車工場への講習会開催などに奔走した。1984年化学製品部に転部し九州、中国、山陰、関西のマネージャーとしてフロン代替フッ素製品を販売し業績向上に貢献した。全国各地での人脈と商品ライフサイクルをふまえた効果的な販売と高付加価値製品の販売で会得したノウハウと販売プランの立案が強みとなっている。

黒石忠(くろいしただし)

元九州松下電器(株)現パナソニックコミュニケーションズ(株)開発研究所長(理事)。1962年九州大学工学部機械工学科卒業。九州松下電器(株)入社。同社開発研究所設立に参画、設立当初より情報通信分野新製品の企画立案と開発に従事、数多くの情報通信分野新製品の研究開発と事業化に成功。同社事業分野の拡大に貢献した。中でもカラーLBPなどコンピュータ周辺機器の開発に精通。対外的には日本機械学会九州支部の常任幹事を歴任。現在はネットワークセキュリティの構築、コンサルテーションを行う傍ら、社団法人発明協会特許流通アソシエートとして九大TLOで大学教官研究テーマから特許化テーマ発掘業務に従事。

西ヶ野政宏(さいがのまさひろ)

1982年電気通信大学電気通信学部電波通信学科を卒業。同年4月、九州松下電器㈱に入社。九州松下電器㈱では、知的財産権部門創生期より知的財産業務一筋。入社当初より通信関連機器、印刷関連機器、水関連機器、デバイス機器等の工業所有権(特許、実用新案、意匠、商標)の権利化並びに他社特許調査・検討を担当。その後、特許事件、契約関連業務を担当し、松下電送システム他との統合により誕生したパナソニックコミュニケーションズ㈱では、2004年より知財戦略担当課長として、知財戦略の策定、知財ポートフォリオの作成、他社特許の調査・分析を担当する一方、高速電力線通信推進協議会(PLC-J)では、知財ワーキンググループのグループ長として尽力した。

首藤幸一(しゅとうこういち)

九州松下電器(株)(現パナソニックコミュニケーションズ社)理事。1961年大分工業高校電気科卒業、九州松下電器(株)入社。1981年までポンプ部、第一事業部などの技術部に所属。その間、電気井戸ポンプや家庭用浄水器などを開発。その後1990年まで全社開発プロジェクトのプロジェクトリーダとして企画調査、設計開発、事業化を推進。その間オフィス向けとポータブルの英文電子タイプライタやWP、DTPなどを開発。その後1996年まで大分、熊本、佐賀、福岡と各事業部技術及び研究所でサーボモータ、負圧スライダのHDD、流体軸受け、カラーLBPなどを開発。その後1999年まで光ディスクドライブの開発、事業化を推進、業界初の9.5mm厚ドライブを事業化。その後全社の経営企画室で全社事業化プロジェクトの推進などを担当。2002年10月定年退職。

白井堯(しらいたかし)

白井技術士事務所、エネルギー管理士。福岡県出身。1970年大阪大学大学院修士課程終了後、日新製鋼(株)入社。2年目に(財)理化学研究所にて塑性加工の研究(温間加工)に従事。その後、製鉄所に復帰、担当者として材料試験、技術サービス、品質設計等を担当した。引き続き、生産技術管理者として圧延、熱処理、精整プロセス改善・開発および製品改善・開発を推進した。この間、日新製鋼技報に投稿、また学会に於いても先進的な鉄鋼の製造技術・設備技術(圧延・熱処理・精整・検査等)について発表した。海外技術指導は、POSCO(韓国)、宝山鋼鉄(中国)、アセリノックス(スペイン)他の建設や生産技術指導を推進した。その後、名古屋の中小企業の役員として生産技術・設備全般を統括した。現在は技術コンサルタント、技術評価や産学官連携のコーディネート、中小企業の技術経営支援に務めている。

高野浩(たかのひろし)

1964年九州大学工学部電子工学科卒業。1964〜70年 三井東圧化学(株)にて計測制御研究、大阪化学コンビナート自動化設計・建設に従事。1970〜88年三井アルミニウム工業(株)に転籍し、精錬工場2系列の自動化設計・建設、日伯アマゾンアルミ 精錬プロジェクトの技術援助首席代表、半導体材料工場建設・生産販売のプロジェクトマネージャー等を経験。1989〜2000年三井東圧化学(株)(後に三井化学(株))復職後、技術開発センターにて新機械システム開発、各種工場生産ラインの改善等に従事し、(株)大牟田高圧ガスセンター取締役社長に就任。2000年以降は、有明工業高等専門学校非常勤講師、(株)産学連携機構九州(九大TLO)事業部長等に従事。資格は、計量士、環境計量士、公害防止管理者(大気・水質、1種)。

竹田勝則(たけだかつのり)

1978年日本インテリアデザイン学院卒業。商業施設士。(株)福岡玉屋(装工事業部)入社。商業施設の企画設計・総合プロデュース業務を担当。1999年独立。それまでの経験を活かし、商業施設を中心とした複合的な地域づくりやまちづくりを「公共性と採算性を両立できるシステムの構築」という理念の基に計画段階から事業化まで総合的に行っている。最近はコーディネイターとしての経験を評価され「道の駅」や「直売所」等自治体が施設整備を行い民間もしくは第3機関へ委託といった施設の計画策定から事業化まで総合プロデュース業務を行っている。「知的財産」を活かした地域活性化の可能性は大きいと感じている。

中島高士(なかしまたかし)

東海大学工学部通信工学科卒、池上通信機(株)川崎工場において画像処理機器の開発及び日鉄エレックス(株)(日鉄電設工業から社名変更)で計測機器の開発に従事し、その後半導体企業である日本テキサス・インスツルメンツ(株)日出工場において、世界で始めてリード・フレームの替わりにTAB(テープ・オートメィティド・ボンディング)テープを用いたモールドTABパッケージを開発した。この技術がTIのマイクロスターBGA(ボール・グリッド・アレー)の基礎となった。その後、(株)三井ハイテックに移り同社で初めてのパッケージ開発部隊を組織してBGAやCSP(チップ・サイズ・パッケージ)、TABテープ等の開発に従事した。この間特許出願65件以上、登録14件以上にのぼる。その後(財)北九州産業学術推進機構の特別研究員として新しいウエハーレベルCSPの研究開発活動に従事する。その他委員会活動としてEIAJ(現JEITA)標準化委員(半導体パッケージ標準化)として活動する

長濱雄二(ながはまゆうじ)

1969年同志社大学工学部電気工学科卒業後、九州松下電器(株)(現パナソニックコミュニケーションズ(株))入社、第2事業部生産技術部配属。大分事業部生産技術課長、マレーシア九州松下電器(株)リードフレーム工場長、デバイス事業部大分工場副参事歴任後、2004年退職。退職後、大分県立日田高等技術専門校造園科に入校。また、2006年5月から2007年2月まで(株)三洋電業社大分営業所長代理。自動化設備の制御設計、製作、立ち上げ、IE分析を基本とした工程分析、レイアウトの最適化による工程改善、海外工場の立ち上げ、運営等を専門とする。

野里善人(のざとよしと)

1974年名古屋工業大学卒業。元パナソニックコミュニケーションズ(株)品質管理部部長。1974年九州松下電器(株)入社。本社品質管理部にて全社品質管理の企画推進・品質管理教育・事業場の品質問題改善を実施、またQCサークル九州中部地区幹事として活動。1992年頃から全社ISO9000導入及び認証取得を推進。その後、事業場品質管理部門責任者として海外工場の品質改善指導・CS活動を推進。2009年6月退職後は、永年の経験に基づく、統計手法活用の品質解析改善、経営品質評価、ISO9000システム構築、QCサークル活動指導ノウハウを活かし、日本規格協会の非常勤講師として品質管理セミナー講師を担当。

野島正晴(のじままさはる)

1970年広島工業大学機械工学科卒業。九州松下電器 (株)(現パナソニックコミュニケーションズ)入社。当初より磁気記録分野・新規事業の開発に参画、カセット・8トラックテープレコーダ・VTR・FDD・HDDを松下電器産業 (株)の関連事業部と連携し、共同で製品開発を推進。‘82〜85年まで開発研究所・モータ開発プロジェクトにてステッピング・サーボモータを開発。その後大分事業部にて営業〜販売まで経験。以後HDD・CD-ROM用スピンドルモータ・冷蔵庫用ファンモータ・流体軸受MPUファンモータ・繊維用高速スピンドルモータ等の開発に取組む。企画・開発部門を担当、各種プロジェクトの担当及びリーダとして新規分野の商品を開発。‘93〜95年まで光デスクドライブの開発・事業化を熊本工場で推進・2002年からPCのMPU用液体冷却システムの開発に取組み2004年7月商品化に成功8月より市場に投入。2004年10月冷却G主幹技師として定年退職。

原信海(はらのぶみ)

1986年国立大学生物化学系修士課程を修了した後、酵素剤製造企業の研究部に勤務。主に糸状菌・放線菌等による酵素剤の開発・製造に従事する。放線菌の工場レベルでの固体培養の実現、糸状菌細胞壁溶解酵素剤の開発等に実績。知財の世界へ転身するために大阪の特許事務所に勤務する。電気・電子・機械・製鉄・半導体製造等々、一部上場企業の案件を数多く担当する。出身地の九州に戻ってからは農業関連・食品関連・バイオ関連等々、中小企業・大学の案件を幅広く取り扱う。この間、弁理士資格を取得するとともに、中小企業を対象とした知財支援事業にも加わり、知財による地域産業への貢献にも力を注いでいる。知財に従事して20年余。

桝田耕平(ますだこうへい)

1976年大分県立別府鶴見ヶ丘高等学校卒業。共進乳業(兵庫県 乳業メーカー)にて商品管理、営業を経験して、帰大分で半導体関連企業へ就職。大手半導体メーカーの後工程を業務として、半導体検査(外観、電気的特性)業務を経験。製造、生産技術工場長として人事、生産管理も経験。また、近10年は、半導体テスト技術の営業を行い、テスト装置、プログラム作成、基板作成等を経験。取締役営業部長として、また九州の半導体協議会会員として、官庁、大学、企業の連携にて多くの人脈を有す。また、商品、技術拡販のための展示会企画や、公的資金(補助金、助成金)の申請、運用等の知識も保有している。半導体以外には、自動制御装置の開発支援や、キャノンのカメラ、ビデオの検査装置の組み立て等の経験がある。現在は、フラット・フィールド(個人企業)を営む。

三木義男(みきよしお)

元東陶機器(株)副理事。1963〜2001年東陶機器(株)に勤務。その間、金具事業部の企画、外注、技術部門に従事、その後、全社機能部門の技術本部経営戦略室、業務改革推進本部に従事し、最終役職は、企画主席主幹(副理事)を歴任。企業経営改革(上流)から現場改善(下流)までの幅広い知識を修得。また、職域としては、企画、購買、技術などの業務を経験。特に、業務改革推進では、販売部門、研究・開発部門も担当。自己退職後、「価値創造経営研究所」を開設。東陶機器(株)時代に活動していた学会活動、北九州中小企業振興活動や国際貢献活動の人脈により様々な仕事を展開。現職としては、東和大学特任教授、TLO特許流通アソシエイト、中小企業大学校(直方校)人材育成支援アドバイザー及び、講師、日本規格協会講師、日本能率協会講師、KITA(北九州技術協力協会)コースリーダー及び、講師 などを歴任。様々な分野(大学、中小企業、海外)や地域(北九州、行橋、博多、佐賀、大分)で多くの人脈をもつ。

溝口督生(みぞぐちよしたか)

1994年東北大学理学部物理学科卒業。同年、九州松下電器(株)入社。開発研究所にて大規模システムLSIの開発、画像処理アルゴリズム開発に従事。2000年に松下電子工業に出向し、アナログ・デジタル混載LSIを開発。01年〜02年まで松下電器産業(株)中央研究所に出向し、デジタル地上波テレビのアルゴリズム開発に従事。LSIの論理設計、画像処理、移動体通信、テレコム関係の開発、企画に9年間従事しつつ、独学にて02年に弁理士試験合格。03年〜04年まで、パナソニックコミュニケーションズ(株)知財部に勤務。事件、発明発掘、権利取得などに従事。05年より、平野特許事務所に勤務し、主に外国特許権利取得、侵害訴訟などに従事。並行して大分大学非常勤講師、他講師多数。企業での開発経験(技術者の視点)、企業知財(クライアントの視点)、および外部弁理士(サービス提供者の視点)の三位一体の視点をもった知財サービスの提供が強みである。

宮川晋(みやがわすすむ)

元日立造船鉄構エンジニアリング(株)顧問。元株式会社エスメック社長(日立造船関係会社)。1966年大阪大学工学部構築工学科卒業。1967年日立造船(株)入社。橋梁技術者として本四架橋、海外大型橋梁プロジェクトに参画。橋梁事業の収益改善タスクフォースチームリーダー、海外橋梁工事の現地調査ネゴ・技術折衝・入札業務の経験豊富。パソコンによる見積りシステムやトタールマネージメントシステムを先駆的に開発。以後、企画部長、技術部長などを歴任、会社の長期ビジョン策定にも参画。最新鋭の堺鉄構工場の建設統括責任者。日立造船関係会社の(株)エムテック取締役製造部長・(株)エスメック社長在職中は製造管理者・経営者としてコストダウンを実践。日立造船鉄構エンジニアリング(株)では放電破砕による岩盤・コンクリート構造物の破砕事業化に参画。現在、九州工業大学情報工学部非常勤講師として、最近関心の高まっている「技術者倫理学」を教えている。

宮脇彪(みやわきたけし)

1962年九州大学経済学部卒業。1962年〜1998年九州松下電器(株)に勤務。その間資材購買部門を経て、事業部購買、生産管理部長、工場長、事業部長を歴任。小型モーター応用品製品担当時に、電気鉛筆削り器工場のJIS通産大臣賞を受賞、また事業内容の転換に挑戦し、日本語ワードプロセッサーの事業化を図った。その後全九州松下の資材部門担当(副理事)として、資材行政管理を行い、単に資材部門の効率化だけでなく、製造部門の生産リードタイムの短縮を推進。さらに、中国部部長(理事)として、FAX・PBX・コードレス電話の営業と、その生産工場拠点調査検討に従事。

牟田慎一郎(むたしんいちろう)

1968年 九州工業大学電気工学科卒業、九州松下電器(株)入社。1972年 開発研究所に所属し、九州松下電器初のOAプロジェクトを編成し、世界初となる自動スライド作成機(35mmスライド)の開発に成功した。この間、日本初のパソコン解析本「PC−Techknow8000」を出版しベストセラーとなる。デイジーホイルプリンタの開発に従事したあと、電子タイプライタの世界展開のための開発営業を担当し、世界15カ国を歴訪。技術者の採用業務に6年間従事したあと、製造物責任や商品環境(製品の安全性)を担当。1994年再び開発研究所へ戻り、パソコン周辺機器の調査研究に従事しデジタルカメラの原型を開発。その間、久留米高等専門学校の非常勤講師(講座名:電子計算機)を2年間務める。1996年から研究開発管理業務を担当。その間、2002年に経営品質賞セルフアセッサーの資格を取得し、社内の経営品質向上にも努める。2005年1月に定年退職後、マイクロソフトオフィスマスターの資格を取得。

柳義親(やなぎよしちか)

1966年九州大学工学部鉄鋼冶金学科卒業。1966〜1996年まで(株)神戸製鋼所に勤務し、条鋼開発部では加工熱処理鋼線や快削鋼の開発、ニューヨーク事務所では技術調査および技術サービス、加古川製鉄所品質保証課長として、ASME原子力鋼板認定取得や工業標準化通産大臣取得を推進、海外および国内の関連企業へ出向し、操業および技術指導、生産技術部部長として通産省製鉄課の未来を語る会の世話役、鉄鋼連盟のナショナルプロジェクトの推進委員、鉄鋼協会の企画委員、日本鋼構造協会、JRCMなどの技術委員を担当。1996年後半〜2005年まで(株)コベルコ科研および科研テックにて、理事、加古川事業所長、東京支店長を歴任、ISO認定取得および研究開発支援企業として環境分析業務、物理解析業務などの精度向上や拡大化に従事。